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異分野融合カフェ:第1回訪問インタビュー

アジレントテクノロジー株式会社 ライフサイエンス部門 部門長 岩瀬 壽さんサイエンスの扉を開くバイオツールとビジネス

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アジレントテクノロジー株式会社 ライフサイエンス部門 部門長
岩瀬 壽(いわせ ひさし)さん
1951年生まれ

渡米して行きついた先は「利根川進研究室」

そのときミリポア社では、バイオサイエンスに関連する事業を社内ベンチャーのような形態で設立する動きがおこる。「ぜひやらせてください」と、岩瀬さんは自ら手を挙げ、「ミリジェン」部門が始動させる。最初に取り組んだのは、固相合成法を利用したDNA合成機。当時、英語はあまり得意ではなかったそうだが、「英語はなんとかなりますよ」と上司を説得し、DNA固相合成法を学びに渡米する。

行きついた先はマサチューセッツ工科大学の利根川進研究室。「そこの高垣洋太郎先生(現:東京女子医科大学)がものすごくていねいに教えてくれて。それでDNA固相合成機のプロトタイプのオペレーションを行いました。そのデモ機を引っ提げて、すべて一人でやるんですよ。営業からマーケティング、プロモーション、アプリケーション、サービス、全部ですよ」。すでに、ファルマシア社、LKB社、デュポン社、日本ゼオン社、島津製作所など、7社ぐらいの競合企業が存在していたため、周囲からは「合成機はもうみんな持っていて飽和状態では」と冷ややかな目で見られていた。

PCR法の発表がこれまでの状況を一転させる
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しかし、その状況は一転する。1985年、アメリカでポリメラーザ連鎖反応法(PCR:Polymerase Chain Reaction)が発表される。この新たな技術が、これまでのDNA固相合成機の役割を大きく化けさせる。PCR法では、プライマーと呼ばれるオリゴヌクレオチドを、あらかじめ大量に合成して用意する必要があり、そのためにDNA合成機が不可欠となるからだ。「3年ぐらいの間に小型のDNA合成機が国内で300台ぐらい売れたと思います。ABI社が600台ぐらいだから、全部で1000台ぐらい入りましたね。たった3年の間に」。

1987年、ミリポア社はカリフォルニアのバイオサーチ社(ペプチド合成機、プロテインシーケンサーを主に扱う)を買収し、「ミリジェン・バイオサーチ」部門へと成長させた。当時、バイオ研究における「4種の神器」と呼ばれていたペプチド合成機、DNA合成機、プロテインシーケンサー、DNAシーケンサーをすべて扱うことが可能となった。この4つがそろわないと研究が進まない、という時代だった。

「DNA合成の受託ビジネスは間違いなく日本で浸透する」

しかし、それらの装置はいずれも高価で、すべての研究者が使えるという環境ではなかった。その頃アメリカでは、いまの医薬品開発業務受託機関(CRO:Contract Research Organization)のさきがけといえる、DNA合成の受託ビジネスが走り始めていた。「このシステムは間違いなく日本で浸透する」と岩瀬さんは直感し、ABI社に負けないためにも自ら日本で事業推進することを決意する。 大手理化学販売店を中心に声をかけ、当初は5社ぐらいでスタートする。DNA合成の受託を請け負えるように、自社のDNA合成機を購入してもらうとともに、3か月ぐらいトレーニングを受けてもらう。このシステムがヒットして、1989年ごろ、最終的には12社の合成受託を請け負う会社ができた。その中には、いまのシグマ・アルドリッチ社やニップン社などの前身となる企業も含まれていた。今日では、DNA合成の受託業務は一般的に広く普及している。

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